魔法中年フィジカル柳澤:第一話


まるでスモーク弾が投げ込まれたような煙があがり視界が遮られた。

愛はその一瞬目を閉じた。

何が起こったの!?どういうことなの!?

日常から急に非日常に投げ出されるとパニックに陥るのは自然なこと、勿論愛も例外じゃない。
ぱっと反射的に伏せた。

…のが幸運だったのか不幸だったのかは未だに判断つかないが、目を開けたとき愛はさらに激しいパニック
にさらされることになる。

恐る恐る目を開けるとそこにはセーラ服を身に纏った中年の肢体が生々と浮き上がっていたのだった。

魔法中年誕生

落ち着けあたし。事態を整理する必要があるわ。

大きく息をすって…吐く。うん、大丈夫。

そもそもの始まりは愛の父である柳澤教授に会いに来たところから遡る必要がある。

愛の父は阿呆那大学理学部念動力学系研究室の教授、柳澤 堅である。自慢じゃないけれど念動力学の権威だ。まあそもそも念動力学自体を研究しているのが柳澤教授だけなのだが。念動力学の始祖とかも呼ばれてたりする。念動力学なんて聞いた事ないだろう。その実、研究しているのはこの柳澤教授を除いて他にいない。


残念ながら他の人はそもそもの柳澤教授の理論を理解出来ずにバカにしてるみたいで、「どうせイグノーベル賞しかとれねーだろう」なんて陰口叩いてる人のもいる。柳澤教授自身もそれは知っているが、相手にもしてない。

そんな感じに酷評されているから研究室は閑古鳥状態か、というと実のところそうでもない。興味本位かわからないけどそんなうちの研究室も実は結構学生がいたりする。面白がっているのか本気なのかは測りかねるが。

娘である愛自身、まだ物理を勉強しはじめたばっかりではあるものの、いつか魔法子を発見すんじゃないかなって期待してる数少ないひとりである。

さて。愛は高校三年生で受験勉強真っ最中。そして今日は模試であった。先週まで根詰めて勉強してたからなかなか研究室に顔出すことが出来なかったし、この研究室ののほほんとした空気はとてもリラックス出来るので格別愛着があった。模試を終えた愛は気持ちを切り替えるべく研究室に顔を出した次第である。いつも通り教授室のドアをノックしていなかったら合鍵で入って中で待つ。勝手知ったる我が家のようなものだ。ぼーっと今日の模試の問題を眺めてたんだけど…ここまでは極めて日常的であった。

ここから事態は一変する。


教授室に入ってから15分位経過した時であったろうか。
小さな蝿があたしの周りをぶんぶん飛び回っているのに気がついた。
五月蝿いわねって叩こうと思ったら小さい声で「あぶね!」って声聞こえたのだ。
教授室には誰もいなかく、屋外も休日で静かなものだったから妙に気になって声の出所を探す愛。お化けにおびえるとしでもないが、原因は探っておきたい。

「もし死んだらどうしてくれるんだよ!」

また聞こえる。

「無視はイケナイと思うんだよね。キミ」

さらに聞こえる。
でも声の出所は見当もつかない。

「あー、いい加減に天然ボケするのやめたまえ!」

よく耳をすますと蝿の羽音と声が同期しているように聞こえる。

「でも…」

そんなバカな。

「ほらお嬢さん。目の前にいるのがわたしだよ。聞き間違いじゃないって」

「もしかして喋ってるの、はえさん?」

おそるおそる尋ねる。

「わたしははえなどではない。バイソン・ド・ツーストというれっきとした名前があるのだ。失礼だね君は」

どうみても蝿にしかみえないが蝿は偉そうに自分の名前を名乗った。訝しげに蝿を見つめると蝿は頷くように上下に振動した。
頭の回転の早い方ではない愛は、事の自体についていけずポケっとする。蝿は愛の顔の周りを一周して満足したように上下すると

「うむ。君はわたしの見たところなかなか可愛い子じゃないか」

と嬉しそうに述べた。

蝿に言われても微妙としかいいようがない。

「君にはわたしのパートナーになってもらいたいな」

「丁重にお断りさせていただきます」

即答。愛じゃなくても断るであろう。

「あー、今のわたしはこんな形をしているがね、本来は非常に美しい姿なのだよ。だけど呪いをかけられてしまってね。」

本当に美しい人が自分を美しいと評すかしら?それともただのナルシストなのかしらね?

「それにわたしはツースト王国の王子でもある」

ツーストって聞いた事ないんですけれど。蝿の国ですか?

「そんなわたしのパートナーになれるってことは幸せなことなのだよ。さあ『パートナーになる』というがいい」

そんないきなりわたしの住む世界と違う世界の住人の人にプロポーズされて、しかも自分は美しい王子だと自称するような人のパートナーになろうなどといわれて誰が了承するだろうか?

愛は愛想笑いを浮かべ

「おきのどくですけど…」

やっぱりお断りさせていただきます。

そう言葉は続くはずだった。しかしその言葉はドアノブの音に中断される。

「あ、ちょっと待って」

愛は蝿にこえかけてドアの元へと駆け寄った。



身長の高い陰がヌッとドアの向こうから現れた。予想通り柳澤教授だ。柳澤教授の身長は日本人にしては長身で180cmある。遠い先祖に西洋人がいるのかもしれない。

「うん?愛じゃないか。今日は試験だったんじゃないのか?」

柳澤教授は羽織った茶色のジャケットをハンガーにかけると、教授椅子に座った。愛は柳澤教授のそばで立つ。
ふう、っと一息つくと柳澤教授は愛を見上げ

「試験はどうだったかね?」

と訊ねた。

「やっぱり理系の科目は得意なんだけど文系科目がねぇ。特に英語は時間が厳しくて…」

それから蝿の存在を忘れて愛は模試の感想を柳澤教授に報告し始めた。傍らでおとなしくしていた蝿だったがだんだんイライラしてきたのか八の字をかいて飛び回り始めた。

「ああ、もういい!契約してしまえ!!!」

愛の耳にそんな声が聞こえた。あ、忘れてた、と傍らの蝿に視線を移したその瞬間。


その瞬間の出来事であった。



柳澤教授が五月蝿そうに蝿をひっぱたいたのだ。

「五月蝿い蝿だな」

その直後だ、あの煙が出たのは。

そして今のこの状況に至る。煙が晴れたそこには。。。


セーラー服姿の柳澤教授の姿があったのだ。


絶句する愛。

「おや?」

柳澤教授は周りを見渡し視線を自分の服に落とす。

「ふむ…今日は下には薄ピンクのYシャツを着ていたはずなのだが間違えてセーラー服を着てしまったかね。」

冷静に述べた。

「いや、パパ!!!そんなはずないでしょ!どこをどう間違えたらそんな馬鹿なことが起きるのよ!?」

愛は思わず声をはりあげる。

「現になっているではないか。愛。こういう時に大事なのは現実を疑うことではない。現実の根拠となる原因をさぐる事だよ。科学とはそういうものだ」

「セーラー服と科学は関係ないでしょ!!!っていうか、どうしてこの異常事態で落ち着いてられるの!!!???」

愛はオロオロしながら叫ぶ。正直目に毒だ。スカートのしたからでている素足にはスネ毛がこく生えている。セーラー服も短いのか、へそ出しルック状態だ。柳澤教授の身長が高いのも災いしてか非常にバランスの悪い姿である。というか身長が高かろうと低かろうと、中年紳士のセーラー服が似合うなぞどう考えてもありえないだろう。

「あ…あああ…な、なんということだ…」

叩かれた蝿も急死に一生を得たようだ。ふらふらとしながらオロオロしている。冷静になると事の現況はこの蝿としか考えられない。

「せっかくめぐっちを魔法少女にしてあげようと思ったのに…」

「めぐっちって誰のことですか!っていうか魔法少女ってなんですか!?」

愛の言葉にこたえず蝿は続けた。

「パートナーが教授に…教授を魔法中年にしてしまった…な、なんということだ…」

その声は悲壮感に溢れていた。