Zeit(仮題):第一章、第二幕

<<プロローグ id:hoshimi_etoile:20080326#1206537699<第一章、第一幕 id:hoshimi_etoile:20080328#1206719621

第一章、第二幕

 結局、少女が起きたのは夜遅くなってからであった。
 眠そうに目をこする。寝起きが悪いのか焦点があわないようだ。ぼーっと焚き火を見つめる。
「目、冷めたか?」
 英語で話しかける。
「・・・」
 不機嫌そうに声の主を捜す少女。
「腹減ってるだろ。ほら、これ食え」
 俺は焼き魚の串刺しにコケモモの実を手渡した。
「・・・」
 不思議そうに渡された食べ物を見つめていたが、突如お腹空いていたのを思い出したようだ。一気にがっついた。よっぽどお腹が空いていたのだろう。色白の頬をハムスターのように膨らませてむさぼりつく。そして当然のようにむせる。
「あわてて食べるから」
 苦笑しながら蒸留済みの水を手渡してやる。
「?」
 手渡したペットボトルを不思議そうに見つめる。ペットボトルを見たことがないのだろうか?
「貸してみ?」
 ペットボトルを半ば強引にとると、蓋をハズしてやる。そしてペットボトルを傾けて一口飲んでみせる。
「こうして飲むんだよ」
 といって渡すと今度は俺の飲み方に倣って飲んだ。そしてのどが潤って満足したのか、引き続き残りの食べ物にむさぼりついた。五分くらい無言で食べ続け、差し出した食べ物を全て平らげた。
 さて、そろそろ質問してもよい頃だろう。
「おま・・・」
「あんた」
 先を越された。語りかけたその声を飲み込んで相手の質問を待つ
「どこの奴隷?」
 ・・・言うにことかいて奴隷かい。助けた奴に向かって何事だ。
 首を横に振って呆れた声で答える。
「どこのって・・・俺奴隷じゃないんですが」
「奴隷じゃないんだったら何なのよ?その態をみる限り商人でもなさそうだし」
 奴隷と商人しか選択肢ないんですか?
「学生だよ。学生」
「貴族でもないアンタが?嘘おっしゃい」
「いや、嘘でも冗談でもないんですが・・・」
 ふと腕を組んで独り言を言う少女。
「・・・でも確かに奴隷が英語を話せるってのは不思議ね。あんた何者?どこから来たの?」
「俺の名前は『朝永 しん』。日本出身の高校生」
 胸を張って答える。
「しん?変な名前ね」
「どこまでも失礼な奴だな」
 おもわずツッコミ。
「日本って国の名前?聞いたことのない名だけど」
「JapanだよJapan。太平洋の西側にある・・・」
「太平洋?」
「・・・無知にもほどがあるだろ」
「あんた何言ってるの?もしかしてどこか頭を打っておかしくなっちゃったんじゃないの?頭大丈夫?」
「いや、それはそっちじゃないかな?」
「なによ?失礼ね!」
「失礼なのはいきなり人を奴隷扱いしたり狂人扱いしたそっちだろ!」
 最初の会話は最悪の展開だった。険悪な空気が二人の間に流れる。
 ハー・・・
 沈黙を破ったのは俺だ。少女の方は質問したいことは済んだだろうが俺の質問はまだ全くさせてもらえていない。一方的に満足されて沈黙されても困る。
「ところで」
「・・・」
 不機嫌そうにこっちを見る。
「今日何月何日?ここどこ?」
 やっと聞きたいことが聞ける。
「本当にあんた大丈夫?」
「まあいいから・・・」
 口の端が引きつるのを必死で押さえて会話を誘導する
「10月21日。シュトラスブルグから北東に3日くらい歩いたところ」
 想定外の答え。
「ハ?今夏の真っ最中だろ?・・・」
 京大のオープンキャンパスが8月10日。そこで親父の機械の故障のせい?で訳分からない事態に陥って5日くらいサバイバルしてたから8月15日くらいかな・・・って思ったんだけど。
「夏ならこんなに涼しいわけないじゃない」
 確かに夏にしては涼しい。半袖では少し辛い寒さ。これはおかしい。つい数日前までがんがんに照りつけていたハズなのに。まさか2ヶ月も気を失ってたなんて・・・。んな馬鹿な。
「あ、あのな。一応。一応だけど今年西暦何年?2007年だよな?」
 心臓が高鳴る。
「西暦って?」
 もはや無知に驚き疲れた。それにここで驚いて会話を止めるとまた会話が止まってしまう。必死でこらえ、言い換えた。
「キリストが生まれてから何年経ったかってこと」
「大体1650年って聞いてるけど・・・細かくはあたしは司祭じゃないから知らないわ」
「ちょ・・・」
 おもわず日本語が漏れる。
「1650年!?今、西暦1650年なわけ?え?嘘だろ?おいおい」
 血の気が引く。嘘だろ?え?バカな。まさか。
「なに言ってるのよ?あたしに分かる言葉で話しなさい」
「それ俺がいたときより350年も前なんですけど、それ。冗談だろ?それとも勘違いか?」
「なんであたしがこんな場面で冗談を言わないといけないのよ。まあ勘違いってことはあるかもしれないけど・・・でもせいぜい50年くらいだと思うわ」
「17世紀なのは確かってことか・・・そんなバカな・・・」
 それっきり続きの言葉が続かない。色々な考えが頭の中を錯綜する。目の前が真っ黒になった。
 1650年っていうとあれだよな。日本で言うと江戸時代初期・・・関ヶ原の戦いが1600年。大阪夏の陣が1614年。鎖国令が1638年*1・・・だったかな?中国だと・・・宋?清?そんなところか。そんで・・・ってそんなこと考えたってなんの解決にもならないよな。で、シュトラスブルグってどこ?発音からいうとフランスかオランダ?そのあたりのフランスやオランダってどんなことあったっけ?あれ?あれ?
 あー世界史選択しときゃ良かった。受験じゃ倫理しか使わないから、日本史と倫理しかとってなかったからな。
「もしもし?大丈夫?」
 突如思考の渦から引っ張り戻される。
「あ、ああ。あんま大丈夫じゃないけど大丈夫。かな?」
「なにそれ?馬鹿みたい」
 プ、くくく・・・
 漏れる笑いをこらえようと必死そうな彼女。しかしこらえなくなってついに笑いまくってしまう。それにつられて俺も笑ってしまう。
「まったく、ホントだな。馬鹿みたい・・・」
 二人でひとしきり笑いきる。笑い声が夜の森に響き渡る。ずっとおびえて過ごした夜が今日は少し愉快だった。
 少女はさっぱりした顔で俺に改めて尋ねる。
「あなた本当に何者なの?」
「だから言ったように日本って言う国で大学を目指している高校生。なんとかブルグって・・・」
「シュトラスブルグ」
 今度は馬鹿にするような含みもなく素直に教えてくれた。
「ってどこ?」
「フランスの東にある町よ。そこから東に逃げてたから・・・もしかしたらもう隣の小国の中かもしれないけど」
「よくわからないけどフランスの東って・・・今で言うとドイツかスイスか・・・」
 ドイツが国にまとまったのはつい最近だというのを思い出した。確か200くらいの小国からなってて都市国家だったとか。スイスは永世中立国だということしか知らない。
「ドイツ?スイス?今で言う?」
 頭の回りにクエスチョンマークを浮かべる少女。
「でもお前、ここがドイツ内だからドイツ語をしゃべったわけだろ?Die Mutter ist meine Mutter.って」
「よくわからないけど・・・このあたりじゃ今あなたが話した言語が話されているわ。だから最初、遠目にアンタが現地人に見えたからそう話しかけたわけ。違ったけど。で、ドイツってなに?」
「あー・・・すまん。今ちゃんとまとめ直して説明するわ」
「そうしてくれると助かるわ」
 一度大きく深呼吸をして頭を整理する。そして少女を正視した。
「これはお前も俺も全く嘘をついていないという前提で、あと憶測も込みで話すけど」
「ええ」
「俺はここ、フランスからはるか東の果て、経度にして130度くらい東にある日本という国から来たんだ。昔マルコポーロが『黄金の国』って評した」
「それってあの伝説の?建物が全て黄金で出来てるっていう・・・最近ポルトガルだったかスペインだったかがその国を発見したとか聞いたけどそれ本当なの?」
 目を丸くして奇異の目で俺を見つめる。よっぽど意外なものだったらしい。少女をなだめて16世紀後期の知っていることをかいつまんで話した。
「たぶん本当。最初、種子島ポルトガルが漂着したんだ。そのあとスペインのイエズス会・・・英語でいうとなんていうのかわからないな。んと、フランシスコ・ザビエルっていうのが最初に来たんだよ。ポルトガルやスペインがそのあとやって来て貿易しようとしたんだって」
フランシスコ・ザビエル?誰それ。」
 ・・・ザビエルが有名なのは日本でのみらしい。まあ、考えてみればザビエルが有名なのは日本にキリスト教を持ち込んだその人だからだ。他人の国に誰が新しい宗教を持ち込んだかなんて知らなければ興味だってない。
「ま、話を戻すとともかく極東から来たんだ。ずーっと東。しかもこの時代から約350年も未来から」
「・・・嘘でしょ?」
「最初に言ったとおり嘘はつかないよ。本当にこの時代がお前の言うとおり西暦1650年なのならそうなる」
「そんな・・・まさか・・・」
「俺もそう言いたいよ」
 大きく溜息をつく。
「証拠を見せてよ!証拠を見ないと信じられるわけないでしょ?」
 当然の言葉だ。未来人が自分の目の前に来たら俺だってそれを要求するだろう。
「お前のその右手に持っているそれ」
「この透明のガラス?なんか妙に軽いけど・・・」
「ガラスじゃなくてペットボトルっていうんだ。石油から精製されたもんなんだけど」
「石油?」
「・・・そりゃそうか。石油もまだ知られてないんだよな、この時代・・・」
 ペットボトルで説得するのは無理だ。ただの軽い透明な何かにしか見えないようだ。ペットボトルは説得力に欠けているようだ。
「本当に未来人だったらもっと夢のような魔法具あるでしょ?それでもやっぱりあんた嘘つきなの?」
 挑発に思わずむっとする。
「じゃあコレを見ろ」
 おもむろに携帯電話を取り出して電源を入れる。貴重な電池だが話を進めるにはやむを得ない。
「なによ?この箱」
 箱っすか・・・。
「これは携帯電話って言って遠距離で会話をすることができるんだ。ここと地球の裏側でだって会話できるんだぜ?」
 ちょっと自慢げに話す。別に俺が発明した物じゃないんだけど。
「じゃあ使ってみせてよ?」
 疑うような目で俺を見る。なら実演してやろう・・・と思い意気揚々と蓋を開く。これから何が始まるのだろうと液晶をのぞき込む少女。しかしその液晶には無慈悲にも『圏外』の文字が浮かび上がっていた。
 俺はアホか。こんな田舎に基地局が経ってるわけないしそれに本当に過去に戻ったのだとしたら基地局などあるはずがない。
「い、いや。ここ電波来てないから通話は無理」
 あわてて答える。
「・・・またそうやって逃げる。結局あたしを混乱させて当惑してるのをみて楽しんでるんでしょ」
 ぷくっと頬を膨らませる。やべぇ・・・この子やっぱ可愛い。
 ぶんぶんと横に顔をふる。今はそれどころではない。
「ならコレでどうだ!」
 慌てて取り繕うかのように俺はノートパソコンを起動する。Windowsのロゴが液晶に映る。
「『窓』?」
 液晶に見入る。Windowsの起動が終了しデスクトップが起動する。デスクトップはどこか南洋の浜辺の写真だった。これは個人ユーザとしてでなく一般ユーザとしてログインしたときのデスクトップである。個人ユーザのデスクトップ画像が何であったかは読者の想像にまかせよう。
「綺麗・・・」
 液晶の青に魅せられたのかうっとりしている。どうやらノートパソコンを見せたのは正解だったようだ。
「これで信じたか?」
「これって遠視なわけ?」
 ・・・遠視?俺はどちらかというと近眼だけど
「そうじゃなくて遠くを見る魔法なの?って聞いてるの」
「いや、別にこれは遠くを見てるわけではなくて、ただそういう画像・・・写真を貼っているだけ。これは動画を見たり、文章を書いたり、計算をしたり、インターネットをしたりする道具さ」
 マウスでOfficeを起動し、英語で簡単な文章を打ってみせる。そしてMediaPlayerで最近落としたアニメを再生してみせる。彼女は目を輝かせて見入る。
「画像?写真?動画?インターネットって?」
 興味津々な様子。質問攻めだ。ほんの少し前まで怒っていたのが嘘のようだ。
「うーん。・・・そうだな、インターネットってーのは世界中の人々が誰でも一瞬で見たい文章や画像をみることができる道具だな」
 かなり語弊があるが、正確な描写をしても混乱を導くだけだろう。
「すごい・・・すごいわ・・・」
 とりあえずこれでおおよそのことは信じてもらえたような気がする。電池の消耗を危惧した俺はさっさとシステムを終了させる。
「もう消しちゃうの?」
 かなり残念そうに液晶を見つめていう。
「電池・・・いや、燃料が足りなくてな」
 なんだかこそばゆいが、充電が切れたら本当にこのノートパソコンはただの金属の固まりになってしまう。ノートパソコンは最終兵器だ。電池は慎重にあつかわなきゃいけない。
「まあ、手元にある主な未来のものはこんなもんなんだけど・・・納得してもらえたかな?」
「他の国でもしかしたらこんなものがすでに発明されてる・・・なんて可能性もなくはないかもしれないけど」
 まだいうか
「少なくともヨーロッパでは見たことないから多分あんたは本当に遠いところから、そして未来から来たのかもしれないのね」
「俺も半信半疑だけどな」
「それは難儀ねぇ」
 『難儀』の一言で片付けられましても。
「まあそういうわけだ。ここから二日くらい東に歩き続けた山ん中にいきなり置いてきぼり食らってそんでやむを得ずサバイバルをしつつ人里を探して川を下ってきたんだ」
 ぽりぽり、と頭をかいてそう説明する。
「いきなり置いてきぼりって・・・それまでは何をしてたの?」
「日本のある大学のある研究室にいたことまでは覚えてるんだけどなぁ。色々あって気を失っちまったんだ。そんで気がついたらそこに」
「時間を移動しちゃったってわけね」
「空間もな」
 およそ350年と1万キロの時空移動だ。どこの三流ファンタジーだよ。


 この事態には二人とも思うところが多すぎた。二人の間には無言の空気が流れたがそれぞれの頭の中では様々な考えがうずまく。そして時々思い出したようにうなる。
 沈黙を破ったのは少女の方であった。
「ふーん。なるほど・・・あなたここであたしにあえて良かったわね」
 いきなり居丈高にそう言った。
「な、なんだよ?いきなり」
「もしあなたがいきなり町に行ったら・・・他人をカモにしようとしている奴がうようよしてるわ。右も左もわからないあんたなんか一発で引っかかっちゃうわよ?」
「・・・マジ?」
 奴隷にされている自分を想像して背筋がぞっとした。自分が鞭打たれる様子なんか想像もしたくない。
「ええ。とくにあなたは白人じゃないからなめられるわね。黄色人種でこっちまで来るのは奴隷として送られるか商人として商売に来るか、それくらいだし。まあおおかたは前者だけどね」
「あー・・・」
 なるほどね。納得だわ。だから最初に俺を見るなり奴隷呼ばわりしたわけだ。常識というか・・・前提が違うとこうも物の見方が変わるんだな。地域の違いや文化の違いから戦争が起こるのもある意味必然なのかもしれないな。それを乗り越えるのは・・・やっぱり並々ならぬ努力がいるわけで・・・
 そんなことを考えている俺に、耳を疑う一言が入った。
「そんなわけだからあなた、あたしの召使いになりなさい」
・・・ハ?
 少女の目を正視した。どうやら正気らしい。本気で言ってるようだ。
「聞こえなかった?あたしの『召使い』、"Servant"になりなさいっていってるの」
「そ、そりゃ聞こえたけどさ。そのお前の言いたいことがよく分からないんだ。どういう論理でお前の召使いにならなきゃいけないんだよ。意味が分からん」
 俺は学生だ。召し使いでも奴隷でもなんでもない。
「あたしがあなたの面倒みてあげるっていってんのよ。あんたこっちの常識分かってないんでしょ?」
「そりゃそうだけど・・・行動を共にするだけなら友達同士とかそういうことにしてくれないか?俺、学生だしまだ働いたことないんだけど」
 高校三年間は受験勉強で忙しかった。部活も途中で辞めたしアルバイトなんてもってのほかだ。
「この世界じゃあんたは学生じゃないでしょ?」
「それと同時に召使いでもない」
「じゃあこの世界で一人でやってって誰かの奴隷になって不条理な一生を送るわけね?」
 そう詰め寄られて言葉が詰まる。
「・・・脅迫じゃん」
「交渉よ」
「友達じゃ駄目なの?」
「・・・どうしてあたしみたいな貴族がどうしてあなたのような民衆と友達になれるのよ」
「な・・・」
 思わず胸ぐらをつかみかける。その手をやっとのことで止める。
 ・・・落ち着け。ここは文化も常識も違う。
 俺は大きく息を吸った。
「お前貴族だったのか」
「ええ。あんたとは格が違うのよ」
 やはり最初に会ったときに思ったようにやっぱりこのどことなく気品のある雰囲気は少女が貴族であるが故のようだ。でもなんでそんなみすぼらしい服なのだろう?
「貴族のあたしが黄色いあなたと一緒に歩いたりなんかしたら家の威厳に関わるわ」
 この少女のいうことにはいちいち腹が立つが17世紀の時代を考えると彼女のいうことはその時代では自然なことなのかもしれない。ここで時代の風習に逆らって浮いた存在になるのは問題となるのは確かだ。ここはある程度は少女の言うとおりにしておいた方が身のためになるかもしれない。でも全てを承諾するのはプライドが許さなかった。俺にだって意地はある。
「一つ条件がある」
「何よ?」
「あくまで他人のいる場においてのみ、その条件をのんでやる。つまり町の中とか人の多い街道とかだ。普段はその限りじゃない。・・・俺はお前に尽くしてやる義理はないんだ。それで譲歩するか?」
「・・・つまり人の目があるところでは召使いとして振る舞うってことね?」
「町の外ではしないぞ?あくまで対等な関係だ。お前が貴族だろうと王だろうと関係ない」
 数秒間二人の視線が交錯する。
「分かったわ。譲歩する」
「交渉成立だな」
 交渉が終わり張り詰めていた緊張が解ける。そして手を前に差し出した。少女はその手をみると少し躊躇したものの、その小さな白い手で握手をした。そしてニコッと笑顔をこぼした。
「そういえばお前の名前を聞いてなかったな」
「あたし?メ・・・いえ、マリーよ。そう、マリー」
「そうか、マリーか。よろしく」
「よ、よろしく!」
 二人は握手を交わす。マリーは歯を見せてにっこりと笑う。
「で、これからどうするんだ?」
「顔を隠して巡礼者として町にでるわ。」
 巡礼者ということはあちこちの教会を回って祈りを捧げる信者に扮するということだろうか?
「ふーん・・・まあ俺も町に行きたいのはやまやまだしそれはかまわないんだけどさぁ。お前追われてるんだろ?」
「えぇ。だからそこでウィッグを買って変装するのよ。追っ手にばれないように」
「変装するんなら髪切ればいいのに」
 実はショートの方が好みだ。
「あなたねぇ・・・女の子が髪の毛切る意味分かってるの?」
「・・・失恋?」
「馬鹿!」
 いや、我ながらアホな解答をしたと思う。思うけどこんなに怒るとは思わなかった。声が山彦になって何度も響く。
「あなたの世界じゃ髪は女の命って言わないの?」
「いや、言わなくもないけど・・・うーん」
 腕を組んで悩んで見せる。マリーは怒った顔をゆるめて肩をすくめて見せた。
「というわけで却下」
「命懸けて命を守るのか。殊勝なこった」
 俺の冗談に少女は思わず吹き出した。ひとしきり笑った後、俺は気になっていたことを少女に尋ねた。
「お前、なんで男たちに追われてんの?」
「なんでって・・・」
 急に口ごもる。
「それにさっきお前、貴族って言ったな。貴族のクセになんでそんな粗末な衣装をきている?」
 そっぽを向いて答える。
「別にあんたには関係ないでしょ?」
「関係ないって・・・形だけでも召使いになったんだ。関係は十分あるだろ?」
「召使いにプライベートを尋ねる資格はないわ」
「それにしたって・・・」
「さて、そろそろ寝るわよ。町までだいぶあるんだから。早めに寝て体力温存しとかないと」
 追求から逃げるかのように話を切り替える。
「お前・・・あれだけ寝たのにまだ寝るのかよ」
 仕方ないので少女に話を合わせる。
「さっきまでのは、昨日までの睡眠不足の分。これから寝るのは明日のための体力温存」
「ハイハイ、分かったよ。おやすみ」
 苦笑して寝かしつけた。
 どうもよっぽどの事情があるようだ。追われている理由とか、相手の特徴とか分かったら追跡者に対する対処方法もあっただろうが、どうやら彼女は追われていることに関してはノータッチにしておいて欲しいようだ。
 まあ時間はある。ゆっくりお前の凍り付いた心を解きほぐしてやるさ。
 くさい台詞を一人口にして俺も横たわった。


 ユッサユッサ
 眠くてまぶたが開かない。
「あと五分だけ」
 寝ぼけた声でそうつぶやくと寝返りをうった。
「さっさと起きなさい!町は遠いんだから」
 ・・・なんで英語で話され・・・
 ハっとして飛び起きる。目の前にマリーの顔があった。
「やっと起きたのね。まったく、だらしがないんだから」
「昨日遅くまでお前の面倒みてやってたから疲れてるんだよ」
「でもはやめに行かないと町に着くのがどんどん遅れるし・・・追っ手に遭遇するまえにこの場を離れたいのよ」
「昨日お前が気絶している間にお前を背負って随分北に来ているハズなんだけどな」
 昨日マリーと遭遇した場所にそのままいれば、再び追ってに見つかるのは必至だった。だからリュックをマリーに背負わせ、その彼女をおぶって真北に移動したのだ。ただでさえノートパソコンとバッテリーでリュックサックが重かったのにさらに女の子一人を背負って移動したのだ。それでは疲れもする。
「まさか、あなた寝てる間にあたしの体さわったりしてないでしょうね!?」
「そんな余裕無かったよ!あのときはもうあの場を離れるのが精一杯だったんだ!」
 別に胸が背中にあたってどきっとなんかしてないからな?
 という言葉は口に出さずにおく。
「ふーん?」
「ともかくそんなこんなで疲れてるんだよ」
「でも早く町に行って寝たいでしょ?」
「うぅ・・・確かに」
「じゃあ行くわよ?」
「ハイ・・・」
 張り切って歩き出すマリーを追って俺も歩き出した。


 こうして貴族と学生の奇妙な旅が始まった。

#俺の小宇宙が燃えていたら続きます。

*1:この年号は間違えています。寛永10年(1633年)第1次鎖国令。奉書船以外の渡航を禁じる。また、海外に5年以上居留する日本人の帰国を禁じた。寛永11年(1634年)第2次鎖国令。第1次鎖国令の再通達。寛永12年(1635年)第3次鎖国令。中国・オランダなど外国船の入港を長崎のみに限定。日本人の渡航と帰国を禁じた。寛永13年(1636年)第4次鎖国令。貿易に関係のないポルトガル人とその妻子(日本人との混血児含む)287人をマカオへ追放、残りのポルトガル人を長崎出島に移す。参考:Wikipedia